愛の流れについて

ひとつの愛の中へ

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万物は0~99%まで、源と人間だけが100%の存在。
100はすべてを含みます。

(あやこさんの本P.68より抜粋)
「神と愛を完璧に直接分かち合う存在は人間にのみ、
与えられた特権である」

万物は部分しか愛を体験できないけれど、
人間はすべての愛を体験できる存在です。

すべての愛、これを云い換えるとひとつの愛に成ります。
そして、愛口座はすべての愛をひとつにすることで
私たちは完璧な愛を体験することができるように成りました。

これは霊的な体験になりますが
お金という愛の道具を使うことで、
具体的に万物を創造し、体験することも可能に成ります。
愛口座は、神を顕す三要素である
知・情・意の意にあたりますが

知は真理を知っていること。
情は愛の交流。
意は行動です。(知と情を持って動かすこと)

人間が源と一致する(人間完成)には、
知・情・意を完成させることが必要なのですが
万物に知と情はあっても意はありませんので
人間のように万物を使って何かを創造する力は、
源から与えられてはいません。
(あやこさんの本P.35より抜粋)
「行動とは完璧な愛だ、そのために真理が必要だ、必ず」

愛口座に愛を流すことは行動です。
愛口座という「Way of Life」(命のみち)の内容では既に「知」を完璧に
投入してあります。(私たちはひとつであるという真理)
それぞれが愛口座と向かい合いながら
源と「情」の交流をもつことで愛の関係が育ち
流すときには完璧なひとつへの創造、「意」として成り立ちます。

つまり愛口座と向かい合い生活することは
何もかも源として生きて、それを表現できることとなるのです。

*ここでなぜお金という愛を使い、源と愛を分かち合うのか。
別にお金を使わなくとも、源と愛を分かち合うことができるのでは?
という素朴な疑問が出てきました。

以下、源からのお返事です。

お金はすべての万物の代表ということは
知っていますよね。

その万物は 人間に愛されることで
ひとつを表現し、源に還るはずでした。

人間は万物をひとつという真理によって
愛することで源として生きるようになっているのです。
万物はひとつになる為の道具だからです。

人間がひとつを選ばず
ただ、人間と源にだけ与えられた創造性を使って
(ひとつを創るという責任を放棄して)
生きるようになったので
万物は源の愛を(つまりひとつという愛を)受けることなく
存在しているのが現状です。
そしてもちろん、人間も
万物を源に還さないことで
ばらばらを創造し続けているのです。

そこに人間が源を知り(つまりひとつを知って)
万物を愛するとき(まず、源に、ひとつに還すようにするとき)

ようやくひとつの世界創りが行われるのです。

まず、源を知る。
これは「源のエネルギーとの対話メール」や「源の力」をやることで分かってきます。
そしてもし、それができない場合でも「愛口座」というのは
「Way of Life」(命のみち)(つまりひとつの世界)の中にあるため
愛と感謝の思いで流すことで
源として生きる準備をしてゆくこととなるのです。

ランドセルはもうおろしたほうがいい。


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