澤本あやこさんの本には源は材料なのだと書いてあります。
そして、お金もひとつの世界建設の道具です。
源と万物はどちらとも材料なのか、聞いてみました。
少し違うね。
材料には意思というものはない。
でも、源には目的というものがある。
意思(意志)というものを人間によって授けられ
あくまで源は人間によって動くこととなる。
あなた方は大いなる万物だよ。
つまり源。
人間も万物だからね。でも、人間には他と違うところは
意志力がある。
そして源という大いなる愛の存在と繋がる事ができる。
創造力も存在している。
違いはその点だ。
お金や他の万物には「愛というものは受け取る」
そう思っている。
あなた方は源によって直接的に愛を与えられ受け取っている。
だからただ、愛というものはお返しするということになる。
それによって大いなる創造が生まれる。
すなわち、愛とは創造だ。ということがいえる。
万物(人間と源以外)には、創造性がない。
愛というのは受け取らなくては他の万物はなくなってゆく。源も一緒さ。
だから人間は大いなる愛の存在としてあるのだよ。
本当にね。
源
源を愛するのと万物を愛することの違いはありますか?
ない。
しかしあなたにはそれを知る事ができる。
大いなる愛の生き方によって。
源と万物を区別していくのは
あなた方のちから(大いなる愛による創造という意志)による。
そしてそのちからは万物をしっかり愛したときに
源を理解しより多くの世界をひとつとしてゆくことが可能となる。
源
※万物とは、一般的に宇宙に存在するすべてを指します。
しかし「お金は万物の代表」という言葉を用いるときには
人間と源以外の万物を指しています。
辞書によると「人間は万物の頭」とあります。
万物の「頭」には万物そのものであっても、
そうでなくてもOKなので、
万物であり、そしてそれ以上の創造性を
源から頂いた存在として在るということなのでしょう。
あやこ
※人が源として生きるというのは
万物の長(おさ)とか主(あるじ)になることで
源として認められるということですか?
TORU
もちろんね
いままでも そしてこれからも
源