人が神として生きる時 P.175 「感情について」
【では、感情について
すべてを含んだ喜びという愛の表現が分かれたものが
様々な感情として表現されます。
時に苦しかったり辛かったりして、道が見えなくなったりどれも
喜びとは程遠い感情としてあるようですが
あなたはそれを瞬時に喜びとして変化出来るのです。
喜びも悲しみもひとつとして生きる時、
愛のパワーをみなぎらせて生きるようになるのです。
全部一体として迎え入れるならば、
あなた自身の愛はパワーによって調和され神として生きるようになるのです。
ひとつの目的を見て歩む時、悲しみも苦しさも男性は神らしく生きることで、
すべて瞬時に喜びとしての体験に変わるのです。
女性は愛を以って受け止め、穏やかな笑顔で包み込むようになるでしょう。源】
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上記の内容を僕なりの解釈で説明してみます。
人の心というのは愛から離れたところに居る時には
悲しみや苦しみなどを感じていて、心が不調和な状態になっているので
ばらばらな世界を体験しています。
そんな時にその悲しみや苦しみという感情を
ひとつの愛(すべてを含んだ喜びという愛の感情)に意識を向けることで調和され
ばらばらになった愛がひとつの愛に戻り
喜びとしての体験に変わるということです。
日常生活では自分の感情を相手にぶつけてしまったり
自分の感じている感情をどのように手放すといいのかが
分からなくなって混乱してしまったりすることがあると思います。
愛について色々と知識を持っていても
いざその時になって愛を意識できなくなってしまったり
愛とは思えないような状況に直面した時に
自分は源として生きられるのか?
愛を行なえるのか?
そんな疑問を持ったことはありませんか?
意識をひとつの愛に向ければ
悲しみや苦しみといった感情は
時間が経つのを待って忘れようとしなくても
また自分の居る環境が変わらなくても
すぐにまた本来の愛となって笑顔で生きられるようになります。
ひとつの愛に戻ることで愛を体験し
生きる喜びを感じ源として生きて行くことができる。
誰もが願う幸せや笑いがすべてここにあると感じています。
愛を流すという行動を行なうことで
誰もが愛を分かるようになるでしょう。