源は許すとか許さないという判断をしません。
それどころか、人間は源によって既に許されていますし、源は罰を与えたりもしません。
源は私たちを愛しているのです。
愛する者になぜ罰を与えたりする必要があるのでしょうか?
悪いことをしてしまったと反省する気持ちは大切なことですが、
許されないということはないし、自分のことを悪い人間だと思う必要もないのです。
人が源として生きる時には、愛という行いによって
簡単に許すことができるようになるでしょう。
富士 実さんの本P.160「赦しについて」 「あなた方は真更な世界を見出すのではなく
何を云えば許されるかを考えているだろ。それが、積もって人を赦せなくなるのさ」
相手に許してもらおうとばかり考えていると 自分は許されないと思うようになります。
それが心の中に積もっていくと、 自分は許されない→自分を許せない→人を許せない
というようになってしまうのですね。
人間関係とは映し鏡のようなものなので(私達はひとつなので)
自分の姿を相手に映し出してしまいます。
つまり、自分の中にある許せないという気持ちが
相手にそのまま投影されてしまうので、人を赦せなくなってしまうのですね。
自分に対して出来ることが相手に対しても出来ることです。
怖れを捨て去り愛という行いによって、
心の重荷を降ろし楽になれるのが愛口座でもあります。